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大阪高等裁判所 昭和60年(う)1114号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人村嶋修三作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、量刑不当を主張し、本件についてはいずれも刑の執行を猶予されたい、というのである。所論にかんがみ、記録を調査し、当審における各被告人質問の結果をも参酌して検討するのに、本件は、被告人両名が、外二名と共謀のうえ、原判示天理教道友社内において、被害者を背後から取り囲み、被告人渡邊が吸取兼立幕役、同冨森及び外一名が立幕役、他の共犯者一名(柴田富蔵)が真打ち役となつて、右被害者の背広内ポケットから現金二五〇〇円及び特別乗車券在中の財布一個(時価一〇〇〇円相当)を抜き取り窃取したという、いわゆる集団すりの事案であり、その手口・態様がきわめて悪質・巧妙であるうえ、被告人両名ともに、すり事犯多数を含む多くの実刑前科(被告人渡邊は一〇犯、同冨森は六犯)を有し、この種事犯の常習性も認められることなどに照らすと、所論指摘の被告人両名のため有利な情状をすべて考慮に容れても、本件が所論のように刑の執行猶予を相当とすべき事案であるとは認められない。

たしかに、一件記録によれば、本件については、1犯行直後被告人らが現行犯逮捕され、賍物がいずれも被害者の手に戻つていること、2被告人渡邊において五万円、同冨森において三万円を被害者に提供し、その宥恕を得ていること、3前刑執行終了後本件犯行に至るまでに、被告人渡邊については約六年、同冨森については約一二年半という、かなりの長年月の経過があることなど、被告人らのため酌むべき情状の存することは、所論の指摘するとおりと認められる。しかしながら、本件のようなすり(とりわけ集団すり)事犯は、一般に、窃盗罪の中で最も悪質な犯罪類型の一つと考えられており、他の手口の犯行と対比すると、この種犯罪者に対しては、刑事裁判の実務においても、伝統的に重い刑が科されていることは、周知のとおりである。これは、かかる犯行は、その手口・態様がきわめて悪質・巧妙で発覚しにくく、たまたま現行犯逮捕される場合以外にはまず検挙されることがないうえに、犯行自体にスリルがあつて性癖化し易いという特質を有するため、いつたん発覚した以上はこれに厳罰をもつてのぞむのでなければ、一般予防はもとより特別予防の効果をも期待し難いという点に着目したものと考えられ、十分合理性を有するものというべきである(なお、すりに対して重刑が科される理由は、右のような点にあると解すべきであり、時に言われるように、検挙された犯行が「氷山の一角」であるという点にあるのではないから、いわゆる余罪処罰禁止の法理に抵触するものではない。)。ところで、本件において、被告人両名は、前記のように、従前、長期間多数回にわたりすり事犯等の窃盗罪を犯し、その都度懲役刑の実刑に処せられているのに、今回、またもや、さしたる必要もないのに、いずれもすりの前科多数を有する他の共犯者(柴田富蔵及び金進培)との間で、人の集まる天理教の月次祭で一仕事しようという話になるや、暗黙のうちに前記のような役割分担を合意のうえ、本件犯行に及んだものであつて、かかる犯行の動機・手口・態様等に照らすと、被告人らのすりの常習性は、前刑服役後のかなりの年月の経過にもかかわらず、いまだ失われていないと認めるのが相当であつて、かかる被告人らに対し真に法の厳しさを体得させ自力更生への道を歩ませるためには、なお相当期間の施設への収容と矯正教育が必要であると認めざるをえない。なお、所論は、本件における被害金額が比較的少額であつたこと、及び被告人両名が真打ち役でなかつたことなどの点についても言及するが、すり事犯に対し重い刑の科される理由が前記のとおりである以上、被害額がたまたま比較的少額であつたことは、本件における量刑、とくに実刑と執行猶予の振分けの際の因子として、さほど重視すべきものではないことは明らかであると認められ、また、本件のような態様の集団すりの事案においては、たまたま真打ち役を実行した者と吸取ないし立幕役を行つた者との間に、それほど決定的な刑責のちがいがあるとは考えられないから、これらの点に関する所論も採用することができない。論旨は、理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松井 薫 裁判官村上保之助 裁判官木谷 明)

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